帯に短し襷に長し、首を吊るには丁度良い
※長い自分語りです。認知行動療法みたいなものなので、暇な人だけお付き合いください。
「人生は焦って変えようとしなくても勝手に進んでいくものだから流れに身を任せなさい。」
そう言う大人が周りには多かったように思います。
田舎育ちかつ頭の良いコミュニティにあまり属していなかったせいでしょう。
比較的優れたレールの上に乗ることを人生の終着点、至高の喜びと考えている人間がほとんどでした。
高学歴の生活保護とはよく言いますが、医師はそういったコミュニティから見て最上級の尊敬に値する成功者なのです。
田舎者に東工大の偏差値はわからずとも医師の年収はわかります。
医師免許を取ってから研修医が急にチヤホヤされ始める現象もそれによるものでしょう。
その思想を吹き込まれ続け育ったため、私の思考停止部分、常識の部分は染められてしまいました。井の中の蛙にもなりました。
どこか違和感を抱きつつもそれが何なのか言語化はできず、ただ直感的に従ってはいけないとは思っていたのが幼い頃の私です。
周りとは違うことをした方が効率よく事が運ぶことが多い、と経験的に学びました。
結果、大人になっても逆張りの習性だけが残ってしまいました・・・。脳味噌が足りない逆張り人間ってとても生きづらいです。
あ、「人生は自分で変えられるんだ!」と自己啓発まがいなことを言いたいわけではありません。
本題に移ります。
この春、様々な転機を迎えました。
親のご機嫌取りに疲弊し、市役所巡りに疲弊しました。
5年以上会っていない親戚から結婚祝いを渡された時には全身の毛穴が開きました。
(※私の兄弟が2人、従兄弟は3人ずつのためお金のやりとりをすると親戚側が1人分得をする。だから頻繁にお祝いを送り合う。お返しをすぐにしないとキレられる。)
役所での手続きがグダグダで医籍登録ができず詰みそうになったり・・・。
改姓の手続きの手間を省くためにタイミングを春休みに設定したのに、むしろ作業を煩雑にして何がしたいのか。
ADHDに社会は厳しいです。
肌荒れでやる気が2段階落ちました。
日常の変わり映えしない生活を送りたいだけなのになあ。
プラチナの結婚指輪はいらないのでウマ娘のチャンピオンズミーティングでプラチナの称号を取りたいです。
戸籍上で第三者へ効力を持たせるものといえど、たかが個人間の契約であるところの結婚にどうして平穏な日々を邪魔されなければならないのか。
この煩わしさも含めて幸せだと表現する人もいるようですが、プライベートに有象無象が次々と入り込んでくるこの感覚はもう一生味わいたくないです。
親族を交えた結婚式なんてしようものなら今度こそ精神病になってしまいそうなので、いつも通りオッシャーでもしませんか。
他人が同じ空間にいるだけで疲弊する。カフェ勉強が絶対に成立しない。
社会不適合者の権化のような私がどうして結婚ダービーで最速スタート、スキル「コンセントレーション」を発動してしまったのか。
何が起こるかわからないものです。どうしてこうなっちゃったのか自分でもわかりません。
「周りが遊んでくれるうちはいいが、結婚して家庭のことで忙しくなると孤独が深まる。」
「若いうちはエネルギーがあるから内向的な趣味を楽しめ、独りでも心身を保てるが、歳をとると厳しい。」
決まり文句を言われる度に、結婚願望はないと一蹴してきました。結果的に、助言に従ったような形になってしまって悔しいです。
満足げな親の顔を見るときにとても歯痒さを感じます。お父さん、お母さん。人間の本質は変わりません。ごめんなさい。
結局、経験的に良いといわれる方向に勝手に進んでいくものなのかもしれません。経験則をうまく使えばスマートに、固執すれば老害になるのでしょう。
ある程度貯蓄をしたら、南国のク○スト石引みたいな場所を見つけて慎ましやかに暮らしたいです。鉛色の空はもう飽きました。
以上をもって花嫁のスピーチにかえさせて頂きます。
さようなら〜